2025年9月、日本国際博覧会(大阪・関西万博)会場内で開催された「グローバル・スタートアップ・エキスポ2025」では、イノベーションと国際連携の最前線が一堂に会した。とりわけ注目を集めたのが、Gesher Timesでも継続的に取り上げてきた、革新と国際連携のエンジンとしての大学の役割に焦点をあてたセミナーだ。 パネルディスカッション「大学を中心とした世界のエコシステムと日本のエコシステム」には、カリフォルニア大学サンディエゴ校、ライフサイエンス系スタートアップ向けインキュベーターのBioLabs、京都大学、神戸大学、そして湘南ヘルスイノベーションパークを運営するアイパークインスティチュートのリーダーが登壇。研究室から世界市場へ橋渡しするディープテックの成長条件を多角的に議論した。 日本が直面する“1→10”のスケールアップの壁をどう突破するか――その処方箋として、人材の流動性、レイターステージの資金、知的財産の設計、長期的なインキュベーション、そして創業段階から多国籍構造といった新しい発想が示された。
モデレーターのひとりを務めたあずさ監査法人理事長兼KPMGジャパン共同チェアマンの山田博之氏は、開口一番で日本の課題を指摘した。
「ゼロから1を生み出すスタートアップは数多く存在します。しかし、1から10へと成長させるための支援体制が、まだ十分には整っていないのです」
政府による支援プログラムの整備により、シード段階での資金調達はもはや主要なボトルネックではなくなりつつある。 しかし山田氏は、依然として残る構造的課題として二点を指摘する。ひとつは、グローバルな経験を持つ経営人材の獲得。もうひとつは、企業や投資家による後期段階での資金供給の不足だ。
「人材、投資、技術の循環がなければ、優れたアイデアも成長できない」
山田氏は警告する。漸進的な連携に慣れた日本企業にとって、このギャップは未開拓の機会を示唆している。CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)や、有望な大学発ベンチャーへの直接的なM&A、経営陣の交換などを通じて、その機会を捉えることができるだろう。
一方で、段階的・慎重な連携を重んじる日本企業にとって、このギャップはむしろ新たな機会の兆しでもある。CVCによる投資、有望な大学発ベンチャーのM&A、さらには経営人材の流動化などを通じて、国内のスタートアップ・エコシステムに新しい循環を生み出す可能性がある。
カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCサンディエゴ)は、日本が参照できる一つの成功モデルを提示している。工学部長のアルバート・ピサノ氏は、同学の驚異的な成長軌跡を紹介した。
1960年に創立されたUCサンディエゴは、わずか30年で世界的な地位を確立し、現在では年間17億米ドルを研究に投資している。スタートアップ創出のパイプラインも確立されており、これまでに1,000社を超えるスタートアップが誕生。そのうち約450社が現在も活動を続け、累計で135億米ドルに上る資金を調達している。
ピサノ氏は、この成功を「いくつかの構造的な選択」の積み重ねによるものだと説明する。
「大学を中心に据えることはできますが、それだけでは不十分です。より長いインキュベーション期間が必要なのです。スタートアップが大学のインフラを利用しながら、より長く留まれるようにしなければなりません」
さらに、知的財産(IP)ルールの抜本的な変更が重要な推進力だと指摘した。
「より多くの『IPフリーゾーン』を作る必要があります。そうすれば、スタートアップが開発した新規IPを、大学側が管理・保有するのではなく、スタートアップ側が所有・活用できます。これは既にUCサンディエゴで確立されています」
最後に、ピサノ氏は起業家精神の定義を広げるよう訴えた。
「起業家はビジネスパーソンやエンジニアだけではありません。イノベーターはあらゆる分野から現れます。これにより、より人間中心のイノベーションが生まれるのです」
これらの発言は、硬直的なIP政策と限定的なキャリアパスが、大学発ベンチャーの成長を阻む要因となっている日本の現状とは対照的だ。
大学がスタートの場であるなら、BioLabsのようなインキュベーターは、スタートアップが飛躍へと向かう推進力となる存在だ。創業者のヨハネス・フリューハウフ氏は、研究室での研究成果を商業化するまでの費用と時間を少なくすることを目的とした、共有ラボモデルを説明した。
「当社のラボは、スタートアップのコストを最大30%削減し、最初の実験までのタイムラインを6〜9か月短縮します」
しかし、インフラ以上に重要なのは「コミュニティ」だとフリューハウフ氏は強調する。
「重要なのは、アイデアをアカデミアの外に持ち出し、患者に届けることです。生物学の専門知識だけでは不十分で、創業者同士が互いの洞察を必要としています。コミュニティの側面が極めて重要です」
BioLabsは世界中で1,200社以上のスタートアップを立ち上げており、その影響は財務的な数値をはるかに超えている。
「この数字を誇りに思っています。当社のスタートアップから年間250件の新規臨床試験が開始されています。これは、革新が患者に届いていることを意味します」
フリューハウフ氏は、川崎では既にナノ医薬の分野で協力を進めており、日本での展開は確実に視野に入っていると述べた。
日本の側からも、各リーダーが進捗と課題について率直な見解を述べた。京都大学総長の湊長博氏は、イノベーションを促進するために、アントレプレナーシップ教育、ギャップファンド、そして90を超える機関との連携協力を重視していることを強調した。一方、神戸大学副学長の喜多隆氏は、スタートアップファンドの創設(第一期で22億円、現在は60億円を調達中)と、産業界との「架け橋」としての神戸の役割を説明した。さらに、アイパークインスティチュー代表取締役社長の藤本俊夫氏は、全国9拠点の大学発スタートアップ支援プラットフォームが連携し日本全体でグローバルに通用する事業を生み出すことを目的としたイノベーションエコシステム「NINEJP」を紹介するなど、具体的な取り組みが示し、次のように語った。
「私たちの目的は、協業と可視化を通じて未来を創ることです。NINEJPはパートナーがグローバルプレイヤーになることを支援します」
しかし、パネリストたちも、世界展開が依然として困難であることは認めざるを得なかった。京都大学の湊氏は、日本の隠れた研究人材を海外の投資家に可視化する必要性を訴え、「日本の『ブラックボックス』を開けよう」と呼びかけた。
将来を最も鮮明に描いたメッセージを発したのは、UCサンディエゴ校のピサノ氏だ。複数の国で同時に生まれる新種のベンチャーや、創業時から多国籍なチームで構成されるスタートアップを紹介した。
具体例として挙げられたのは、UCサンディエゴ、筑波大学、産業技術総合研究所(AIST)が共同で創業したAI駆動型メドテックベンチャー、Vesica AIである。日本チームは日本で法人化し、同時にメンターたちが米国法人を設立。両社はIP、資金、チームを共有している。ピサノ氏は次のように語る。
「これは、さらに大きなスケールで可能なことの成功例です。創業時から多国籍なスタートアップなのです」
このような越境的な構造は、共同設立、グローバルシンジケート投資、共有ガバナンスなど、日本企業にとって新たなM&Aモデルを示唆するものである。
セッションを通じて浮き彫りになったのは、日本のビジネスリーダーにとって重要な幾つかのメッセージである。 一貫して強調されたのは、人材の流動性の重要性である。山田氏は、経験豊富な経営陣が大企業からベンチャー企業に流れなければ、スタートアップは規模を拡大できないと警告。これを補完するように、ピサノ氏は、支援的な政策、特に知的財産とインキュベーションに関するものが、単なる運用上の細則ではなく、イノベーション・エコシステム全体の軌道を左右する根幹的な要素であることを示唆した。また、フリューハウフ氏の実例は、強固なコミュニティがイノベーションの触媒として機能し、エコシステム内での知識共有が起業リスクを軽減し、市場投入までの時間を大幅に短縮できることを証明している。そして最後に、画期的な事例であるVesica AIは、日本が世界で競争するためには、スタートアップを単に国内の優良企業として育てるのではなく、その創業の瞬間から本質的に国際的な事業体として再構築しなければならないという未来への明確な指針を提示した。
グローバルスタートアップエキスポ2025は、日本が大学主導のスタートアップモデルを再調整するための緊急性と機会を浮き彫りにした。
総括として、モデレーターのひとり、UCサンディエゴ国際アウトリーチ・シニアディレクターの和我美和子氏は、次のように聴衆に呼びかけた。
「スタートアップにとって強力な国際的なつながりを維持するには、協業が不可欠です。このエキスポは重要なプラットフォームですが、これはほんの始まりに過ぎません」
ディープテックを議論するにあたり、グローバルな提携、買収、投資の流れは、もはや補足的なトピックではない。これらこそが、ディープテックの潜在力を社会的価値へと転化するための核心である。日本が他国とのイノベーションの格差を埋め、次の成長曲線を描くためには、大学・産業界・投資家・政策立案者が共通のビジョンのもとで果敢に連携することが求められている。
以下は、グローバルスタートアップエキスポ2025 セミナー「大学を中心とした世界のエコシステムと日本のエコシステム」に登壇したスピーカーの紹介文。各氏の役職と、大学主導型エコシステムおよびイノベーションに関連する専門知識に焦点を当てて簡潔にまとめている。
Dean, Jacobs School of Engineering and Special Advisor to the Chancellor for Campus Strategic Initiatives, University of California San Diego
NINEJP 海外拠点高度活用WG事務局長 / 有限責任あずさ監査法人 常務執行役員
あずさ監査法人 理事長 / KPMGジャパン 共同チェアマン
Founder and CEO BioLabs Founder and General Partner, Mission BioCapital; Co-Founder and Executive Chairman, LabCentral
University of California San Diego 国際アウトリーチ・シニアディレクター
京都大学 総長
神戸大学 理事・副学長
アイパークインスティチュート株式会社 代表取締役
日本のスタートアップ生態系には、「1から10」への成長を阻む構造的課題が根強い。グローバルな経営人材の不足と、後期段階の資金供給の不足がその核心だ。対照的なUCサンディエゴの成功は、長期的なインキュベーション支援と、起業家が自らの知的財産を所有できる「IPフリーゾーン」といった、大学の抜本的な改革が如何に有効かを示している。 我々は、単なる資金支援以上の変革が求められている。人材の流動性を高め、産学の壁を越えた強固なコミュニティを形成し、さらに「創業時から多国籍」という新たな発想でスタートアップを育成する必要がある。万博の会場で語られたこれらの示唆を、具体的な行動に移す時が来ている。