急成長を続けるインドのスタートアップ市場は、ユニコーン企業100社超、政府認定スタートアップ14万社を超える圧倒的な規模を誇り、インド工科大学(IIT)・インド情報技術研究所(IIIT) を中心とした強固な技術基盤がその成長を牽引している。本記事では、2025年11月に開催したウェビナーの内容をもとに、AI、半導体、クリーンテック、サイバーセキュリティなど深層技術領域の最新トレンドを概観。さらに、インド工科大学ハイデラバード校(IIT Hyderabad) のサンディープ・K・シュクラ教授と Stride Dynamics CEO のペンス・マタリア氏が語った、サイバーセキュリティおよびハードウェア領域における実務的課題と最前線の知見を紹介する。また、日本企業がインドの大学・スタートアップと連携し、PoC や協業へ発展させるための具体的なアプローチも取り上げた。急速に進化し続けるインド深層技術エコシステムの“いま”に迫る。
サンディープ・K・シュクラ氏はIIIT Hyderabad(インド情報技術大学)にて教授兼ディレクターを務める。前職の IIT Kanpur(インド工科大学カンプール校)ではコンピュータサイエンス&エンジニアリング学科長として、国家的サイバー防衛研究拠点である C3i CenterおよびC3i Hub の立ち上げを主導した。サイバーセキュリティ、重要インフラ防衛、ブロックチェーン領域における第一人者として、政府機関や産業界と連携しながら研究開発を牽引してきた実績を持つ。これまでに300本以上の学術論文を発表し、著書は12冊に上る。
ペンス・マタリア氏はStride Dynamics の共同創業者兼CEOとして、自律型空中ロボティクス技術の研究開発をリードしている。IIT Kanpur(インド工科大学カンプール校)で航空宇宙工学を専攻し、2017年よりUAV(無人航空機)およびロボティクス分野でキャリアを積んできた。これまで政府・防衛・産業向けに高性能ドローンを提供してきたほか、現在はGNSS(衛星測位)に依存しない次世代UAVシステムの開発を進めている。
ウェビナーの冒頭では、インドが世界の主要な新興市場の一つとして位置づけられ、スタートアップ数で既に世界第3位のエコシステムを形成していることが紹介された。
フィンテック、SaaS、モビリティ、ロジスティクス、ヘルステックといった分野では、100社を超えるユニコーン企業が誕生しており、この急成長はデジタル消費者層の拡大に加え、「Make in India」「Startup India」などの政府施策が後押ししている。 2023年度のスタートアップによる経済貢献は400億米ドルに達し、2030年には1兆米ドル規模へ成長すると予測されている。
さらに、2024年6月時点で14万社以上の政府認定スタートアップが存在し、150万以上の雇用を創出している。この成長を支えているのが、大学発インキュベーターや、ディープテック、サイバーセキュリティ、クライメートテックに特化したアクセラレーターの広範なネットワークである。
インドのイノベーション基盤は、1951 年に UNESCO と MIT の支援で設立されたインド工科大学(IIT)と、コンピュータ科学・電子工学に特化した 25 校のインド情報技術大学(IIIT)によって支えられている。
これらの大学は QS 世界大学ランキングの工学・技術分野で上位 200 位に入るなど国際的に高く評価されている。入学には JEE Advanced の突破が必須で、合格率は約 1% と世界でも屈指の難易度を誇る。 20 万人を超える強固な卒業生ネットワークは世界中で活躍し、多くが企業の中核人材や幹部を担っている。
過去 10 年で 4,000 以上のスタートアップが IIT・IIIT から生まれ、AI、半導体、サイバーセキュリティ、モビリティ、サステナビリティといった高度技術領域を支えている。 グローバル企業にとっては、優秀なエンジニアリング人材や初期技術パイプラインに競争力のあるコストでアクセスできる、希少価値の高いエコシステムとなっている。
各 IIT はテーマ別の専門インキュベーターを運営しており、代表例は以下の通りである:
IIT Kanpur:ドローン、メドテック(Endure Air、Noccarc Robotics など)
IIT Bombay:SINE による知財支援と先端研究設備
IIT Hyderabad:半導体・AI・ハードウェア(MEITY、Intel、Qualcomm などが支援)
IIT Madras:インド最大の学術研究パークを持ち、クリーンエネルギー・EV・宇宙(Ather Energy、Agnical Cosmos)に強み
AI・IoT:IIT Hyderabad、IIT Delhi
サイバーセキュリティ・防衛:IIT Kanpur の C3i Hub
UAV・ロボティクス:IIT Bombay、IIT Kanpur
クリーンテック・EV:IIT Madras これにより日本企業は、自社の戦略 PoC(概念実証) に最適なキャンパスを効率的に特定できる。
株式会社ゲシェルは、日本企業がインドの深層技術エコシステムと連携するためのモデルとして、以下のアプローチを提示した。
共同研究・PoC プロジェクト
インキュベーター(SINE、ITM など)を活用したスタートアップ・スカウティング
共同インキュベーション(キャンパス内の協業拠点設置、研究講座支援など)
人材交流プログラム(日印人材交流アクションプランを活用)
また、株式会社ゲシェルはターゲットスカウティング、PoC 推進、クロスボーダー調整を通じて、低リスクで技術共創を進める支援を提供している。
教授は、インドのサイバーセキュリティエコシステムは成長途上であり、Zscaler の成功例はあるものの構造的課題が多いと指摘した。
IoT・UAV(無人航空機)における暗号化の不十分さや認証強度の弱さ
ファームウェア更新体制の不備や、サプライチェーンを狙った攻撃リスク
ドローンの GPS スプーフィング(偽信号)やジャミング(妨害)への脆弱性
CCTV など、通信経路における暗号化不足
データ不足により、AI/ML ベースの防御モデルを構築しにくい状況
規制サンドボックス(新技術の実証環境)の不足 ― 金融分野との対照が際立つ
企業側の導入が慎重で、「enthusiasm deficit(熱意の不足)」が見られること
教授は、大学との PoC 連携、レギュレーション対応、顧客教育、Explainable AI の活用を推奨した。
ペンス・マタリア氏は、ロボティクスと物理ハードウェアに関する実践的な課題と学びを共有した。
AI と物理モビリティを統合した「Physical AI」は、次世代ロボット・自律システムの中核である。 Stride Dynamics は GPS なしで位置推定できるドローンデバイスなど、産業用自律技術を開発している。
市場:ROI 説明が難しい、労働コストの二面性
製品/人材:ハードウェア開発の困難さ、サプライチェーンや税制の複雑さ
資金:VC のディープテック理解不足、回収期間の短さ
過剰な設計は避け、最速で PoCを実施することを優先する
チーム拡大よりも、ラボ設備への投資の方が効果が高い
ユーザー環境での「生活密着型開発」を徹底する
パイロット段階でユーザーが支払う意思を示すかどうかが、最も信頼できる指標となる
政府資金(平均 1.5 Crore:約1.5億インドルピー)は、事業化への橋渡し資金として活用できる
両氏は、PoC を本格展開へと移行させるためには、追加資金の確保とプロダクトの「量産化仕様」への転換が不可欠であると強調した。 マタリア氏は、PoC の段階で「顧客が実際に支払う意思を示すこと」こそが最も強力な価値証明となり、その収益が事業拡大の推進力になると指摘した。
ウェビナー全体を通じて、インドが日本企業にとって、優れたエンジニアリング人材と深層技術の両面で極めて高いポテンシャルを持つ市場であることが改めて示された。
今回のウェビナーを通じて、インドのディープテックは研究力だけでなく、実装スピードと起業家精神の強さが特徴であると改めて感じた。特に IIT・IIIT を中心としたエコシステムは、日本企業が求める高度人材・新技術へのアクセスに大きな可能性を持っている。インドのスタートアップは、課題設定から PoC、製品化までが非常に早く、現場起点での改善も積極的である。日本企業がグローバル競争力を維持・強化していく上で、こうした新興技術エコシステムとの連携はますます重要になるだろう。本稿が、日印間の新たな共創やオープンイノベーションを考えるきっかけとなれば幸いである。