Netflixの人気ドラマやハリウッドの映画など、人々を熱狂させるエンタテイメントが次々と生まれる裏にどんな泥臭い作業があるのか、私たちはどれほど考えたことがあるだろう。 一つの番組を制作するため、編集を担うディレクターたちは100時間を優に超える膨大な「動画素材」をゼロから見返し、わずか数秒の「使えるカット」を手作業で探し出す。そしてそのわずかな輝くかけらを繋ぎ合わせていく。それは大量の土砂の中から、一粒の輝く砂金を探し出すような気の遠くなる作業に他ならない。 「使えるカットを探してメモ取りに大半の時間を費やした、本当に拷問のようだったよ。」 こう話すのは、「Quickture(クイックチャー)」の共同創業者・CEOのイラド・エヤル氏だ。彼はネットフリックスでヒット番組を手がけるプロデューサーであり、非効率的な作業の辛さを誰よりも痛感している一人だ。 彼は今、「映像業界のラストワンマイル」ともいえる膨大な無駄をAIで解消しようとしている。 長いゴールは、エンタテインメント業界の変革だけでない。スマホユーザーを一流のプロデューサーにまで変えるーーそう意気込むエヤル氏に「未来予想図」を聞いた。
ネットフリックスで大ヒットしたアメリカのゲームバラエティ番組「Floor Is Lava(溶岩から脱出せよ!)」のクリエイター兼プロデューサーを務めたエヤル氏。
企画を一から立ち上げることを得意とし、クリエイティビティに長けていると定評がある人物だ。彼の約25年のキャリアの中で撮影技術は著しく進化し、ドローンやスマホの登場で簡単に美しい映像が撮れるようになった。
にも関わらず、何一つ変わらなかったことがある、それが「編集」作業だった。
今でも編集者は最初の作業として膨大な動画素材を見返し、何が映っているかを把握。そして次の担当者へのメモ取りに大半の時間を費やしている。
特にドキュメンタリー番組や、リアリティ・ショーの編集となると、何時間も何も起きない映像が続いた後に、ようやく良いシーンが出てくる。
エヤル氏はこの地道なメモ取り作業が「拷問」のようだったと話す。クリエイティブな人たちがクリエイティブな作業ができずに、何十時間も足止めされるーーその現場をどうしても変えたかったのだ。
「Quicktureで解決したかったことの一つは、編集者たちが「使える良い素材」をすぐに見つけられるようにして、退屈な仕事を10倍速く終わらせること。我々はクリエイティブな作業に集中するべきなんだ。」
エヤル氏らが開発するQuicktureは、独自のAIアルゴリズムで映像の文脈だけでなく、登場人物たちの感情、さらには「ユーモアの機微」までをスコアリングし、瞬時に編集できるプラットフォームだ。
写真提供:Quickture
まず初めに、番組の編集がそもそもどのように行われるのか整理してみよう。
①ロギング:動画素材をすべてチェックし、内容を記録・整理する準備段階
②組編集 (並べ):脚本に沿って、素材を順番に並べる
③音声構成:映像を無視し、音声(会話やナレーション)で物語の骨格を作る
④荒編集:全体の流れが見える最初の編集
⑤本編集:カットをフレーム単位で追い込み、リズムやディテールを完成させる
⑥最終編集:すべての修正を終え、色調整や音入れに回すための確定版
Quicktureは①〜④までの工程で、圧倒的に効率をあげるというツールだ。
まず、Quicktureに動画素材を放り込むと、瞬時に「文字起こし」が完成する。誰が、何を言っているのかが一気にわかるようになるが、エヤル氏はその精度に強い自信を持っている。
「業界一だと思えるほど完璧な「文字起こし」ができる。さらに「話者分離」の精度が高いんだ。つまり、誰がいつ何を話しているかを特定して聞き分けるんだ。 」
さらに、映像を「ストーリー性」「感情」「ユーモア」「スパイス(刺激)」の4つの評価基準に基づいてビート・スコアとして色分けすることもできる。
画像提供:Quickture
恋愛の話をしているシーンでは、「スパイス」レベルが、喧嘩のシーンであれば「感情」の評価が高くなるという具合だ。膨大な映像を見返さなくても、色を見てその映像がどんな内容なのか瞬時に理解することができる。
例えば、Amazonプライムビデオで配信中の人気恋愛リアリティ番組「バチェラー・ジャパン」でどんなことができるかを考えてみれば、面白い。
この番組では、複数の人物の感情が入り混じるところが肝だが、編集前にChatGPTを使うように「Aさん、Bさん、Cさんの心理分析をしてみて」とプロンプトに打ち込む。
すると「Aさんは心配性で、Bさんは感情の起伏が激しく...」など全キャラクターの特徴を一瞬で把握することができる。
また、編集のプランニングも自由自在だ。
「番組で45秒のホラー映画風の予告編の構成を考えて」と頼むとAIが構成案を出してくる。「編集」ボタンを押せば、AIが会話の内容に基づいて編集が始まる。素材の探索時間だけでなく、編集作業も劇的に短縮されるのだ。
「軍事ドキュメンタリーのシリーズを1本の長編にまとめたいというクライアントが、12のエピソードを読み込ませて「共通のテーマを見つけて、長編用の構成を作って」と頼んだんだ。すると30分で長編プロジェクトの「荒編集」ができあがったんだよ。」
イギリスの大手民放ITVは『ラブ・アイランド(Love Island)』という番組の最新シーズンの編集でQuicktureを使っている。
30人の独身男女が島で恋に落ちる番組では、500本以上の動画素材を見る必要があったが、エヤル氏によるとQuicktureの導入で、生産性は2倍になったという。
AIが作業を効率化することはわかった。
しかし、人間が面白いと思ったり、思いもよらないクリエイティブな視点をAIが示してくれることはあるのだろうか。
エヤル氏は、毎日Quicktureのデモをしているが、その自分でさえ驚かされることがあると明かす。
「動画の頭に「ジョークを1つ入れて」とAIに頼むと、70%は私が想定した答えを出すけれど、たまに全く見たことのない驚くようなジョークを放り込んでくる。 AIのモデルも常にアップグレードしているから、どんどん賢くなっているよ。」
生産性が向上することで、クリエイティブな人たちが、予算や時間の制限から解き放たれる。これにより、低予算で作られなかった作品もどんどん世の中に出てくることになるだろう。
エヤル氏が2年前にQuicktureを紹介した時、エンタテインメント業界はピリピリしていた。
アメリカでは当初、番組のコンテンツがAIの学習に使われ、知的財産(IP)が侵害されるのではないかという懸念があったためだ。さらに編集者たちには「仕事が奪われる」という恐怖心も強かった。
「クリエイティブな現場の人たちは、ワクワクと不安が入り混じっている。 でも一度使ってみれば、みんな夢中になるんだ。今では平均的なQuicktureのユーザーは1日に2時間半使っている。」
面白いことに、最初にQuicktureを使いたがったのはヨーロッパ、アジア、南アメリカだった。
これはアメリカの番組制作にはまだ高い予算がつき、効率化を急ぐ必要に迫られていなかったことも影響している。
ただ、アメリカも予算を削減される傾向にあり、現場を効率化させようという需要は年々高まっている。
「今はヨーロッパには大きなクライアントがいるし、ブラジルのネットワーク、日本、香港、インドの会社とも仕事をしているよ。」
具体的にどこの企業がQuicktureを利用しているのか聞いてみたが、企業名は秘密だという。多くの企業は、表立ってAIを使っていることをまだ明かそうとしない。しかし、エヤル氏は現場の人たちの「誤解」が解け始めている手応えを確実に感じている。
3年〜5年後、エヤル氏はエンタテインメント業界だけでなく、誰もが一流のプロデューサーになれる未来を見据えている。
「5年後、業界は完全に変貌しているだろうね。特に脚本のある作品は激変する。誰でもノートPCでマーベル映画のような映像を作れるようになると考えてほしい。」
SNSなどのインフルエンサーたちは、テレビ局が大予算を組んで作ったような番組を一人で作るようになる。そしてこれから、企業もプロモーションのあり方が大きく変わってくるだろう。
中小企業であっても、ハリウッド映画のクオリティのストーリーを語れるようになるのだから。
「今、個人のクリエイターやインフルエンサーの世界でも、もっと複雑な物語を伝えたいという野心が強まっている。企業のプロモーションビデオも、単なる広報ツールからエンタメハブへと進化している。Quicktureを武器にした編集者は、あらゆる分野のクライアントから重宝されるようになるはずだ。」
AIが人間がしてきたことをを代替する中で、人間のクリエイティビティはどこに発揮されるのだろうか。
観客を感動させるような「絶妙なユーモア」「あうんの呼吸」、こういった「魔法のタッチ」は永遠に人間の聖域となりうるのだろうか。
エヤル氏は、AIにこの領域は「まだ」できないという。そして例え、AIがそういった神業をやってのけるようになったとしても、彼は人間が語る物語が見たいと話す。
「 AIが作曲して歌詞も書いて歌うソフトがあるだろう、凄いツールだ。でも、僕はそれを聴き続けたいとは思わないんだ。それは音楽を聴くとき、その歌詞を書いた人が何を考えていたかという物語に惹かれるからなんだ。」
彼は、AIの時代にこそ、脚本があるものより、ドキュメンタリー、ニュース、スポーツ、リアリティショーといった「リアル」な分野の価値がより高まると見ている。
AIには取材対象になる人を見つけ、その実生活を撮影して、それを組み立てる作業は難しい。この工程こそ、人間のクリエイティビティが問われるところなのだ。
「僕らはクリエイティビティを殺さない。あくまでも「人が物語を語るためのツール」を作っているだけなんだ。」
エヤル氏は、Quictureの成長を追いながら、次のリアリティ番組の構想を温めているという。
だが、これから数年で起こるとみられるメディア業界の大きな変化を考えると、プロデューサーとして再び現場に立つのは、もう少し先のことになるかもしれない。
Irad Eyal(イラド・エヤル) Quickture 共同創業者 & CEO
Netflixの人気リアリティ番組『The Floor Is Lava』の製作総指揮などを手がけ、20年以上にわたり米国テレビ業界で活躍してきたプロデューサー。制作現場で長年感じてきた非効率を解消するため、2022年にQuicktureを共同創業した。AIによる映像解析と自然言語による編集を組み合わせ、ポストプロダクションを大幅に効率化するプラットフォームを開発。クリエイターを「退屈な作業」から解放し、物語づくりの本質に集中できる環境の実現を目指している。
個人的に映像制作の現場に10年以上身を置いた者として、エヤル氏のペインポイントに強く共感した。今でもメディア業界のポストプロダクションは手作業が多いため、AI実装はまさに待望のブレイクスルー。これまでは、コストが予算に見合わず、世に出ることがなかった上質なストーリーや、動画コンテンツが増えることはプラスだ。個人向けプランの開発も待たれる。