気候変動、食料の価格高騰や安全性の問題、生物多様性の崩壊──。環境課題への関心が高まる中、近年、スタートアップ業界で存在感を増している領域が「リジェネラティブ農業(環境再生型農業)」だ。 土壌を健康な状態へ回復させることで生態系を保護し、持続可能な農業を維持しようとするこの分野には、世界中のClimate Tech企業や投資マネーが集まり始めている。環境再生型農業の市場は2025年に150億2,000万米ドル規模と推計され、2032年までに498億9,000万米ドルに達すると見込まれている。プロジェクトの多くは、AIによる土壌の解析、CO2の測定、カーボンクレジットの流通などの分野が主流で、“効率化”や“数値化”を軸に進化を続けている。 そんな中でも、フランス発のスタートアップ「Soilonic(ソイロニック)」のアプローチは非常に興味深い。農家が環境再生型農業によって生み出した健康な土壌を暗号資産化することで、取引で発生するインセンティブを支払うという試みだ。これまでにない「土壌価値の金融化」を目指すプロジェクトを進めている。 共同創業者のベンジャミン・エメール氏は、これまでファッション、金融、知財、Web3といった様々な業界を渡り歩いてきた要注目の人物だ。これまで当たり前に存在してきた「土壌」の価値を見直すだけでなく、既存の通貨とは異なる、次世代の資産として捉え直そうとしている。 今回は、そんなベンジャミン氏へのインタビューから「土壌」を軸に新たなエコシステムを形成しようとする「Soilonic」のビジョンを紐解く。
2026年3月30日〜4月1日にパリで開催された環境系カンファレンス「ChangeNOW」は、140カ国から40,000人以上が参加する、世界最大級のサステナビリティ分野のサミットだ。今年も世界中からClimate Techの起業家、投資家、研究者などが集まり「気候変動に対して、実際に機能するソリューションをどう広げるか」について議論されていた。 そんな会場を歩いていると、再生型農業(Regenerative Agriculture)という言葉を何度も耳にした。
気候変動、食料の安全保障問題や価格高騰、生物多様性の崩壊──。土壌を健全な状態へ戻すことで、それらの課題を同時に解決しようとするこの領域は、世界的に急成長している分野の一つだ。 前述したAIによる土壌解析、CO2の測定、カーボンクレジットの流通といった分野において、多くのスタートアップが「土壌」を新たな経済圏として捉え始めている。
再生型農業市場は今後10年で大きく成長すると予測されている。背景には、単なる環境問題だけではなく、食料価格の高騰や水資源に関する問題、地政学上のリスクなど、さまざまな懸念事項が存在する。
そんな中、ふと目に止まったのが、パリ発のスタートアップ「Soilonic(ソイロニック)」の展示ブースだった。 フランスの現代アーティストが制作した、土の中にガラス製の鉱石と架空の通貨が散りばめられたボックス。その中を生きたミミズが動き回っている。「見えない経済」と題されたこの展示は、ミミズが土の中を移動することで粘土、砂、有機物の層が混ざり合い、土壌が絶えず活性化され続けることを示している。
そんなミミズをモチーフにしたロゴを掲げる「Soilonic」は、2025年に創業されたフランス・パリ発のスタートアップだ。「土壌(soil)」を暗号資産の通貨として流通させる、新たなエコシステムの構築を目指している。
その仕組みはこうだ。再生型農業で育てられた土壌は、サードパーティーによって健全な状態にあるか調査を受け、品質を認証される。健康な土壌は1kg = 1トークン(デジタル資産)として価値化され、暗号資産ネットワーク「Solana」のブロックチェーン技術によって売買できる仕組みが構築されるという。
創業者のベンジャミン・エメール氏は「土壌再生を目指す農家に、お金が循環する仕組みを作りたかったんです」と語る。土壌は食料生産の基盤であり、炭素を大量に蓄え、生態系を支える重要な役割を持つが、これまで経済価値として評価されてこなかった。そのような問題意識からベンジャミン氏は、土壌を資産として扱うための、これまでにない実験的で画期的なコンセプトを打ち出した。
ベンジャミン氏のキャリアは、他の農業スタートアップ創業者と大きく異なる。
「私はアメリカで法学を学び、ニューヨーク大学を卒業後、ニューヨーク州の司法試験に合格した後、カリフォルニアやロサンゼルスでM&Aや企業法務の仕事をしていました。当時から企業価値の評価や知的財産に強い興味を持っていました。」
その後、2007年にファッションメディア企業「L’Officiel」に入り、編集ディレクターや国際展開の責任者を務めた。会社のデジタル化を進め、ウェブサイトやデータベースの基盤を構築したほか、アーカイブ保護のためのブロックチェーン技術も導入していたという。
「これらの経験を通して、テクノロジーが資産価値を高める力を持っていることを強く実感しました。」
ファッション業界では、単に“モノ”そのものではなく、歴史や背景、ストーリー、ビジュアルイメージを複合的に合わせたものが価値になる。彼は長年、その世界に身を置いてきた。そして現在、その眼差しは土壌へと向かっている。
「昔から、価値とはどのように作られるのか、ということに興味があったんです。」
その後、ベンジャミン氏は妻と共に、パリ郊外で再生型農業の農場運営を始めた。
当初は自分たちの農地を保護しながら育てていくストーリーを作っていくことが目的だったが、農業にまつわる情報を調べていくうちに、小規模な再生型農家が十分な利益を得られていないことに気づいたという。
「カーボンクレジットも扱おうとしましたが、小さな農家にとっては登録コストなどが高く、十分な収益にはなりませんでした。そこで、農家が環境改善への貢献によって正当に報酬を得られる仕組みを作ろうと考えたのです。」
Soilonicのビジネスは、一言で言えば「土壌価値の金融化」だ。
「ある日、自分たちの畑を歩いていて、ふと『この土を袋詰めしてスーパーで売ったらどうなるだろう?』と考えました。そもそも土壌は私たちにとって身近な存在です。大規模農家にも必要ですし、自宅でガーデニングをする人にも必要です。そこで『土壌そのものを価値化し、資産として扱えないか』と考え始めたのです。」
現在、彼らは再生型農業を行う農家と連携し、土壌を裏付け資産とした独自トークンを準備している。その仕組みでは「SOILO(ソイロ)」という単位のトークンを販売するたび、その価値の50%が認証を受けた農家に分配される予定だ。条件としては、無農薬、人工的な灌漑を減らすこと、再生型農業を行うことなどを上げている。ただし、これは単なる暗号資産プロジェクトではない。
興味深いのは、彼らが“物理的な土壌”を非常に重視している点だ。
投資家が実際に農家の畑から土を持ち出してしまうと農業が成り立たなくなってしまう。そこで、Soilonicはパリの郊外に広大な農地を確保しており、それらを物理的な準備金として保有している。仮に実際の土壌が必要な場合は、そこから引き換える形になる。
「Soilonicのトークンは、ビットコインのように発行上限があり、上限(21億枚)以上は発行できません。そして、誰かが実際に土壌と交換した場合、そのトークンは消滅します。あくまでも健康な土壌を育てる、農家を守ることを第一に考えています。」
ベンジャミン氏にとってSoilonicは、これまでのキャリアすべてが融合したプロジェクトになるという。
「これまで関わってきたファッション、知的財産、金融、テクノロジー、カルチャー、それらが全部つながっています。私は、良い土壌は高級ブランド品と似ていると思っています。どちらも丁寧なケアが必要で、時間をかけて価値が育っていくものです。」
また、このプロジェクトの成功は「よりよい土壌を増やす」というミッションを、関わる人たちが文化として共有し、育てていく動きを作ることが、必要不可欠だと考えている。
「ただ金融商品を作るだけでは、人々は本当に共感しません。だから私たちは展示会を開き、アーティストやクリエイターと協業し、カルチャーを体現するためのアートや映像作品も制作していきます。ChangeNOWのようなイベントでは、『こんな発想は見たことがない』という反応を多くもらいました。私たちは純粋なテック企業ではありません。既存の技術を使いながら、土壌という新しい市場を作ろうとしているのです。」
Soilonicは、2025年9月22日、投資ファンドのGEM Token Fund ISA Ltd.(GEM)から5,000万ドルの投資約束(コミットメント)を取り付けたことを発表した。今後、SOILOの運用、再生型農業団体や認証機関との連携を進め、2026年夏にはICO(新規暗号資産公開)を控えている。
Soilonicの名前は、ベンジャミン氏の息子がプレイしていた日本発の人気ゲーム「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」からインスピレーションを得ている。また、フランス人のワイン醸造責任者が監修するアッサンブラージュ(ワインの原酒を混ぜ合わせる手法)で製造した日本酒ブランドの運営も担っている。そんな彼が、日本市場の進出についても非常に関心を持って語ってくれた。
「昔から日本の文化が好きで、日本に対して大きな可能性を感じています。農業文化が根付いた国ですし、アニメやゲーム制作といったストーリーを語ることに長けた人たちが多い。今後は、日本の農家とも連携したいですし、日本のクリエイティブやカルチャーとも結びつきたいと考えています。」
2027年には、プロジェクトへ賛同してくれる農家を求めて、日本へ出向くことも予定しているという。Soilonicのエコシステムに日本の農家が参画する未来はそう遠くない。
土壌の健康を象徴する存在として、世界的なコミュニティを形成する可能性を秘めているSoilonic。ベンジャミン氏の言葉を借りると、このミッションは「地球で最も重要な資源の再生」であり、全人類がこれから向き合う課題に対する、具体案の1つである。
土壌に注目が集まる昨今のリジェネラティブ農業だが、テック面に注目が集まっており「土壌に直接的に関わる農家の存在が置き去りになっているのでは?」という印象を受けていたところで、今回のSoilonicと出会った。土壌保全に誰もが参加できるエコシステムは、すぐに浸透するわけではないが、大きなうねりとなって世界中に広がっていくことを期待している。