2026年、新しい年が幕を開けた。生成AIの実装フェーズが急速に進み、ビジネスのルールが不可逆的に書き換わろうとしている今、日本企業はどこへ向かうべきなのか。 ゲシェルタイムズでは、株式会社ゲシェル代表取締役の原田洋平が聞き手となり、各界の専門家と共に「次代のビジネス」を深掘りする新春シリーズ対談を実施。記念すべき第1回のゲストは、株式会社日立ソリューションズの市川博一氏だ。2010年から6年間にわたるシリコンバレー駐在を経て、現在は同社のグローバルビジネスや新規事業創出を統括する市川氏は、日米のテックトレンドと商習慣の違いを熟知する人物である。 2025年末に行われたこの対話で浮き彫りになったのは、「人月ビジネス」という旧来のSIerモデルの終焉と、米国市場の冷徹なリアリズム、そして日本企業が生き残るための「カスタマーゼロ」という解だった。
原田: 2026年を迎え、AIの実装は待ったなしの状況ですが、まずは現状認識から始めたいと思います。よく「米国はAI利用が進んでいて、日本は周回遅れだ」と言われます。市川さんは米国の事情にも詳しいですが、実際の肌感覚として日米の差をどう見ていますか?
市川: その議論は非常に分かりやすいのですが、我々が知る限り、米国でも必ずしもすべての企業が使いこなしているわけではありません。確かにテック企業や、AIのインパクトが効きやすい特定の業界では活用が進んでいますが、エンタープライズ(大企業)全体の事例を見ると、世間で言われているほど多くは出てきていないのが実情です。
原田: メディアの報道と現場の実態には乖離があるわけですね。
市川: ええ。むしろ、かつてのビッグデータやRPA(Robotic Process Automation)が登場した時の方が、「製造業のA社でこういう成果が出た」「流通業でこう数値化された」といった事例が次々に出てきました。それに比べると、生成AIに関しては、米国のエンタープライズ企業もまだ試行錯誤の段階にあるという印象です。
また、これには「イノベーションのジレンマ」が起きにくい構造も関係しています。ServiceNowやSalesforceといったプラットフォーマーが、脅威となるAIスタートアップを早々に買収しています。その結果、ユーザーは既存業務の延長線上でツールを使っており、気づかないうちに「機能の一部としてのAI」を使っている。統計や事例として表に出てこないだけで、裏側で浸透している側面もあります。
原田: 見えない形で浸透しているというのは面白い視点ですね。一方で、米国でAI導入が急速に進む領域には、どのような動機があるのでしょうか?
市川: ここに日米の決定的な文化の違いがあります。米国では人件費が高騰しています。だからこそ、「人を雇う代わりにAIで仕事をさせよう」という発想が根本にあります。特に中堅・中小企業(SMB)ほどその傾向は顕著です。 米国のAIスタートアップと話をすると、彼らの営業トークは強烈です。「このツールを使えば、3人分の仕事が効率化できる」ではなく、「このツールを使えば、A社では3人削減できました」と平気で言うわけです。
原田: 「削減できる」というのは、つまり解雇できるということですよね。2026年の日本でも、まだそこまでのドライさは浸透していません。
市川: そうなんです。たとえAIツールのライセンス料が高額でも、「人を2人雇わなくて済む、あるいは解雇できる」なら、トータルコストで見れば安いというロジックが成立します。 対して日本では、法規制や雇用慣習上、「AIを入れて社員を解雇しましょう」という提案はできません。日本の大企業ではトップダウンで「AIを使え」という号令がかかりますが、その実態は検索エンジンの代替や議事録作成、文章校正といった補助的な役割に留まっています。
この「雇用の流動性」と「解雇へのインセンティブ」、さらにはAIプラットフォームへの巨額投資競争といった要因こそが、日米のAI導入スピードや真剣度に差を生んでいる残酷なドライビングフォースなのです。
原田: そのような環境の違いは、ビジネスモデルそのものにも影響を与えているのでしょうか?
市川: 非常に大きな変化が起きています。米国のAIプロダクトでは、従来のライセンス販売ではない、新しい課金モデルが登場し始めています。それは「成果報酬型」です。「うちのプロダクトを入れて生産性が5倍になり、売上がこれだけ伸びたなら、その増分(アップサイド)の10%をキックバックしてくれ」という提案がなされることがあります。
原田: それは完全にコンサルティングファームのような成果報酬型ですね。システムを入れて終わり、ではないと。
市川: ええ。売上が上がったのが本当にそのツールのおかげなのか、厳密に切り分けるのは難しい部分もあります。しかし、「人月ビジネス」で食べてきたSIerのモデルはいよいよ崩壊すると言われてきましたが、AIの登場で本当に終わるかもしれません。
原田: 人月ビジネスの崩壊。これはSI業界にとって由々しき事態ですが、同時に大きな転換点でもありますね。
市川: まさにそうです。ソースコードの自動生成やテスト自動化が進めば、「モノづくり」にかかる時間は劇的に短縮されます。結果として、「何時間働いたか」でお金を貰うビジネスは成立しなくなります。 これからは、お客さまの売上が増えたなら、その何パーセントかを還元してもらうというビジネスは十分にあり得ます。単にシステムを納めて終わりではなく、長くビジネスを一緒に考える仲間として付き合う形、パートナーシップへと変わっていくでしょう。
原田: 納品型から成果型へ。SIerは「言われたものを作る業者」から、「リスクを共有し、成果を分かち合うパートナー」へと進化を迫られているわけですね。これまでは人月というある種リスクのないモデルでしたが、これからはリスクを取って成果にコミットする必要がある。
市川: おっしゃる通りです。SIerは今後、上流の戦略コンサルティング領域と、システムを動かし続けるMSP(マネージドサービスプロバイダ)のような領域を統合し、オールインワンで提供する形にシフトしていくと思いますし、我々も同様の方向を見ています。
原田: この激動の中で、日立ソリューションズは具体的にどのような戦略をとっているのでしょうか?
市川: 我々は今、社内で「AX(AIトランスフォーメーション)」という言葉を使っています。その中心にあるのが「カスタマーゼロ」という考え方です。
原田: カスタマーゼロ、ですか。
市川: はい。お客さまに自社開発のシステムを提案するのに、自社で使っていないというのは説得力がありません。「まず自分たちが最初のエンドユーザーとして徹底的に使い倒す」という取り組みです。 かつてのSIerは、顧客のシステムを作るばかりで、自社内にはデータもノウハウも蓄積されない「空っぽ」の状態になりがちでした。しかしAIは、エンジンだけあっても動きません。自社のデータを食わせ、ノウハウを蓄積して初めて価値が出ます。
原田: 確かに、自分たちで使っていないものを「これ便利ですよ」と売られても信用できませんよね。
市川: そうなんです。現在は、自社向けにAIエージェントを構築し、社内の調達業務やQA(品質保証)チェックなどに適用しています。例えば、膨大な時間がかかっていた契約書チェックやポリシーチェックをAIエージェントに任せることで、コスト削減効果を見込む事例も出てきています。 AIによって開発コストやスピードが劇的に下がったことで、この「まず自分たちで作って使う」というサイクルが現実的になったのです。
原田: 社内での活用を促進するために、何か特別な仕掛けはありますか?
市川: 全社員参加型の生成AI活用アイデアコンテストを実施しています。AI活用はエンジニアだけのものではありません。調達部門でも財務部門でも、現場ならではの課題がある。プロンプト一つで解決できるような小さな効率化でもいいから、アイデアを出そうと呼びかけています。
原田: 全社員参加型というのは面白いですね。反応はどうですか?
市川: これまでに約2000のアイデアが集まっています。ユニークなのは、優秀なアイデアには賞金として現金100万円を出している点です。
原田: 100万円ですか! それは夢がありますね。
市川: 選考方法も、経営陣による審査と社員の一般投票を組み合わせた「総選挙」のような形式をとっています。 トップダウンの号令だけでなく、ボトムアップで「AIを使う文化」を醸成し、そこで生まれた成功体験を「生きたソリューション」としてお客さまに提供していく狙いがあります。
原田: AIの導入によって、現場の業務プロセスはどう変わっていくのでしょうか?
市川: 特に「教育」と「失敗の回避」という点で劇的な変化が起きると見ています。例えば、新人を一人前のアナリストに育てるのに、これまでは3年かかっていたとします。それが、GeminiなどのAIに適切なプロンプトを与えれば、初日から40点レベルのアウトプットが出せるようになる。教育のスタートラインが40点から始まるのです。
原田: 下積みの数年がいらなくなる、と。
市川: はい。逆に言うと、そこから上の「読み解く力」に時間を使えるようになります。ただ、AIが立派なレポートを作ってくれるので、「分かった気になってしまう」という負の側面には注意が必要ですが。
原田: もう一点の「失敗の回避」というのは?
市川: 営業活動において、成功には運やタイミングも絡むので完全な再現は難しいですが、「失敗」には再現性があります。「これをやると失敗する」という地雷は確実にある。AIエージェントは、個人の経験に依存せず、「それはやってはいけない」と事前に助言してくれるようになります。パーソナライズされたAI秘書が、失敗確率を減らしてくれるのです。
原田: 最後に、少し視点を変えてリスク管理の話をお聞きしたいです。最近は「ソブリンAI(主権AI)」という言葉も耳にしますが、これについてはどうお考えですか?
市川: 非常に重要なテーマです。特に欧州、フランスなどを中心に「自国の重要データを、他国(主に米国)のプラットフォームに依存して良いのか」という議論が真剣になされています。
原田: 日本の知財や経済発展に関わる重要情報を、すべて外国製AIに学習させることのリスクですね。
市川: 日本は米国志向が強いためあまり話題になりませんが、もし仮に米国の政策が変わり、AIを使わせないと言われたら、日本のビジネスは止まってしまいます。防衛や重要インフラに関わる領域では、海外製品に依存しない「国産AI」や、データを国内で管理する体制の重要性が増していくでしょう。
原田: 最近はランサムウェアによる大規模な被害も相次いでいます。セキュリティ対策も転換期を迎えているのではないでしょうか。
市川: おっしゃる通りです。最近の大規模なインシデントを受け、弊社でも「Halcyon(ハルシオン)」というランサムウェア対策製品への問い合わせが急増しています。これは攻撃を未然に防ぐだけでなく、万が一侵入された場合でも、暗号化キーの生成を阻止したり、自動でシステムを復旧させたりするサイバーレジリエンス(回復力)に特化したプラットフォームです。防御一辺倒ではなく、被害を最小限に抑え、即座に事業を継続するという現実的な解が求められている証左でしょう。 ただ、セキュリティ投資が足りなかったかというと、必ずしもそうではないケースもあります。むしろ今後は、BCP(事業継続計画)の観点から「海外と日本で系統を分ける」といった本質的な冗長化が求められるようになるでしょう。
原田: AWSが落ちたらGoogle Cloudで動かす、といったマルチクラウドの運用ですね。
市川: 米国ではAWSとGoogle Cloudなどを併用するマルチクラウド運用が見られますが、日本ではコストや手間の問題でそこまで徹底している企業はまだ少ない。しかし、これからは「同じアプリケーションを異なるクラウド基盤で動かす」といったリスク分散がデフォルトになっていくかもしれません。
市川 博一(いちかわ・ひろかず)
株式会社日立ソリューションズ 経営戦略統括本部 グローバルビジネス推進本部 戦略アライアンス部 シニアイノベーションストラテジスト
1996年入社。大手製造業向けSIや社内外の新規事業立ち上げに従事した後、2010年よりシリコンバレーへ赴任。現地にて先端商材の発掘業務に従事する。2016年の帰国後は、新たに新規事業創生スキームの構築・運営を牽引している。
約45分間にわたる対話を通じて見えてきたのは、AIという技術が単なる便利ツールではなく、SI業界の商習慣やビジネスモデルそのものを破壊し、再構築しようとしている姿だ。「お客さまに言われた通りにモノを作って納めるだけでは、もう価値が出ない時代です。自社のサービスを持ち、お客さまと共にリスクを取り、成果を分かち合う。そんなSIerへの進化が求められています」。市川氏の言葉は、SIerだけでなく、AI時代を迎えるすべての日本企業への提言とも言える。「人月ビジネス」という、ある種のリスクを負わない安定したモデルからの脱却は容易ではない。しかし、日立ソリューションズの「カスタマーゼロ」への挑戦は、日本のSIerが「下請け」から脱却し、真のビジネスパートナーへと進化する重要な試金石となるだろう。